2021年2月22日月曜日

ハードウェアに差異があったら機能にも差異があるというのは当然のような気がする。誰もが同様に権利や機会を認められるべきという主張に異論はないが、それは理念の話である。差異があるか無いかは事実に関する話で、調べれば、あるいは評価関数を定義すればわかる。けれどきっとアメリカでそんな調査をしだすと人が死ぬし、日本では失職することもあるのだろう。理性的とは言えない。議論は歴史性の中でしかなし得ないのか。

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