2015年9月29日火曜日

時折人が通るので何となく道の風を保っているのだけれど、やたらとセイタカアワダチソウが砂利の隙間から高く生えて前方が遮られているところを、のっしのっしと踏み倒しながら歩く楽しみ、を一語で表現できる日本語がないのは誠に遺憾。
なおその団地近辺は夢の中で謎発展を遂げて、すすきの生い茂る中にくねくねと上り坂が続く丘になっている。その右手の方に行くと小奇麗な洋食屋があって、何度か食事をした。
唐突にホームランバーの事を思い出した。小学校に上がる前のこと、神立に越してからの何年間か団地に住んでいた。ある日姉と二人で団地の一角にある雑貨店でアイスを買って、その時食べたのがホームランバーだった。銀色の紙に赤と青の模様があった。その事だけが妙に忘れがたく時折脳裏に浮かぶ。それから十年以上経って、ふと思い立って団地の公園に行ってコロッケパンを食べながらブランコに乗ったこともあった。伊集院光の日曜日の秘密基地を聞いていたような気もする。足を運んだのはその一回きりで、今はもうその団地も無いようだ。

2015年9月28日月曜日

ペダルはスルスルと回った。ギア 0.5 段分くらいかな。
ヤァ 息仔ョ 失ゥコトノ 堪ェ難キ痛ミニモ モウ慣レタカイ?
先週末は SAN 値が下降しすぎてかなり tanasinn を感じたので仕事中に ted2 を観てきた。黒人ネタはそのタブーの程度がよくわからない。あと麻薬も。アメリカ人なら吸っていてもおかしくないと思ってしまうのは偏見か。
ペダルを交換してきた。明日が楽しみだ。

2015年9月27日日曜日

とは言え昭和の本なので、茶さじ2分の1みたいな書き方で少々困る。茶さじなんて持ってないよ。薬さじならあるけど。
暮しの手帖の料理本を何冊か買った。和食宝典やその他の手間のかかる料理も良いが、普通の料理を普通に作りたいと前々から思っていた。読んでみると流石に暮しの手帖だということがわかる。これは現場の教本である。ある程度知っている主婦向けなので、説明はあまりないが、アレンジの示唆が多い。これは助かる。
自転車のペダルのリフレクタが滑落してからしばらく経つ。ボルトナットで締め付け過ぎるとプラが割れ、程々に締めるとそのうち緩んで落としてしまう。どうにも使い勝手が悪いのでリフレクタ一体型のペダルを買った。これ:http://www.amazon.co.jp/dp/B004W5H3PO/

動きが渋かったので分解してベアリングの当りを調整した。くるくる回るようになって満足。二度と分解しないつもりで防水も兼ねてグリス山盛り。まだ取り付けてはいない。
まあでも、pacman が壊れてしまっているので OS 入れなおしはいつか必要なのだが。
次は Manjaro Linux にしようかななどと思いながら CentOS で起動してバックアップを取る。なんで CentOS をつかわなくなったんだっけ、とぼんやり考えていたら突然 X が落ちた。そうだ、これだ。ドライバが悪いのか知らないがこの問題を解決できなかったんだと思い出す。Arch の rescue mode で起動して rsync して、バックアップドライブを外してリブートしたら Arch からでも正常起動した。えー…。

2015年9月26日土曜日

Arch Linux が起動しなくなった。一緒に入っている CentOS と Windows からは起動できるのでどうでも良いのだが。面倒だから CentOS だけにしてしまおうか。いっそのことディスクも綺麗にしてしまうか。

2015年9月24日木曜日

血を抜かれたせいか妙に疲れた。
休日出勤してこの三ヶ月間の懸念事項を潰してきた。理解していないことについて作業するのはつかれる。
本と漫画をいくらか捨てた。来週にまた捨てる。結局のところ室内の状況を鑑みるに、まずは捨てないとちっとも片付かない。
調布駅近辺に映画館ができるらしい。調布最強伝説がまた一歩確かなものになったな。

2015年9月20日日曜日

(今は亡き)旧D棟はたいてい八階建てくらいになっていて、最上階付近は屋根も壁も壊れている。内部は余裕のある作りで、階段教室やソファーの置いてある広い研究室だったりする。同じ舞台の夢を何度も見るせいで、夢の中の街が徐々に成長しつつある。しかも土浦と調布が夢変形されたうえで合体した謎の街。佐須町の北の方のレンガ通りをもう少し探検したいんだけどな(夢の佐須町には野川が流れていない)。
大豪華五本同時上映!だったのだがまるで憶えていない。夢の記録装置はなぜ出来ないのか。

2015年9月9日水曜日

暴風雨の中で遭難しているようだ。早く山小屋を見つけて休息を得なければならないと感じる。薪ストーブのある小屋がいい。小屋の中で息を潜めていたい。

2015年9月8日火曜日

$10^{24}$(酔った)

2015年9月7日月曜日

というわけでアゴタ・クリストフの「昨日」も読み返した。心が文章に共鳴する稀有な本である。
http://www.amazon.co.jp/dp/4061529021/
流行っているから、というわけでもないが一冊くらいと思って読んでみた。流しで読んで追える式だけ脳内で展開した程度なので、眺めてみたというのが適切。ごっつい行列なり長い多項式なりでパラメータチューニングすればそれなりにそれなりな謎の関数ができるよ、という程度に理解した(していない)。人間の認知過程というのも複雑なようでいて一秒あたりのニューロンの経由段数は大したことがないはずで、高次元の入力を縮約する方法はあるのだろうと言うことか。しかし機械学習の連中は何かというと画像認識ばっかりでうんざりする。来年の黒点の数でも予想してみろよ。
国家元首の運用費用という概念を獲得した。というか組織の中の人間も運用の観点から考えるべきなんだよな。当たり前といえば当たり前。技術的な能力や問題をその人間に帰すのは短絡的だが抗いがたい。
ひたすら疲弊している。疲労が溜まっているのではなく、疲弊、消耗。とは言えようやく慣れてきた感じか(この状況に)。