2014年4月29日火曜日

育て方を調べると、紫蘇とバジルは楽勝そうだが山椒はやたらと枯れやすそうで心配である。枯れたら朝顔でも植えようかな。
調布駅南側の広場で植物販売を行っていた。バジル、紫蘇、山椒の苗を一株ずつ。プランタと土を買うついでにバジルの種も購入。それにしても土を買うのはどこか釈然としない。

2014年4月25日金曜日

「こ、これはっ! オロコッパーヘンデルモルゲン!」と自然な感じで言うのを人生の目標の一つにした。さっき決めた。http://www.amazon.co.jp/dp/4592710681

2014年4月24日木曜日

もちろん、あとがきも歌っていました。
ワンルーム叙事詩が耳にこびりついていたので一日中歌っていた。燃えろ、燃えろ、全部燃えろ。

2014年4月21日月曜日

ノンホモ牛乳を買ってきて、途中で休憩をはさみつつ都合三十分ほど振ったのだが、腕が疲れたので諦めた。ザラザラとそれらしき脂肪の粒はできているけれど、もう限界。
夕飯: ご飯、昨日の残りの味噌汁、そら豆と帆立と玉子の炒めもの、チンジャオロースー風のモヤシで嵩増ししたもの、昨日の残りの酢味噌和え+小松菜。
ヒマラヤの岩塩を
牛乳パックの紙で包んで鉄床に乗せて、玄翁でぶっ叩く。
ふるいにかけて、パウダー状のものはそのまま使い、粒が大きいのはソルトミルで使う予定。

2014年4月19日土曜日

ああそうだ、そら豆も買ったのですよ。とても美味しかった。
夕飯:筍ご飯、若竹煮、ウドと舌切とわかめの酢味噌和え、鮭と大根と牛蒡と蒟蒻の味噌汁。
休日にしては珍しく早起きして卸売りセンターまで行ってきた。鮭腹スモーク、舌切、わかめ、筍、小松菜、ほうれん草、ちりめんじゃこ。まだ何か買った気がするが酔っているので思い出せない。布団を干しつつ午後はホームセンター。ソルトミル、玄翁、平たがね、ヤスリ。鉄床はどこにあるかと訊いても、それは何か、どのように使うのか、大きさは、などと質問されるばかりで埒が明かぬ上、結局見つからない。ダメ元で旧甲州街道の金物屋に行ったら置いてあった。鉄道のレールをぶった切ってペンキを塗ったもの。1900 円。ついでにそら豆のフライとレンズ豆。

2014年4月16日水曜日

久しぶりに sudo pacman -Syu したら 1.5 GB 近くの更新があった。日進月歩ってやつか。

2014年4月15日火曜日

2014年4月14日月曜日

memo: CentOS を Desktop でインストールした時にデフォルトで入っている付箋紙アプリは tomboy。これ便利だよな。
そろそろ認めざるを得ないこと: 俺は料理のセンスがない

2014年4月13日日曜日

ビーフストロガノフは浦沢直樹の柔道漫画で知っていたが作るのも食べるのも初めてだった。割と美味しく出来たと思うがこの味で良いのかはわからない。
今日の夕飯:アルーゴビマター(じゃがいもとカリフラワーとグリーンピースのカレー炒め)、ボンゴレロッソ、わけぎのグラタン。

昨日の夕飯:ビーフストロガノフ、じゃがいも、人参、小松菜としらす干しのおひたし。

2014年4月7日月曜日

パニールは簡単にできることがわかったので、次はレンネットを使ったチーズかバターだな。チーズは難易度が高そうなのでバターにしたいのだが、生クリームを使うと高いし、ノンホモ牛乳はそこらで売ってないし、乳製品充への道は遠い。
色々あって、中古の Lenovo X201 を買ってきた。見た目は新品同様。Core i5-520M、memory 4GB、税込み 3.9 万円。取り敢えず CentOS6.5 を突っ込んだ。

2014年4月6日日曜日

パニールは脂肪分 5 %のジャージー乳で作ってみた。普通の牛乳でも作れるのでそのまま飲んだほうが良かったかもしれぬ。
夕飯: 鶏肉入りサグパニール(あるいはパニール入りサグチキン)。

2014年4月4日金曜日

ジョニ黒。2200 円。美味しいけど赤が 1200 円なのを考えるとそれほどでもない。これならシーバスリーガルの方が好みだな。

2014年4月1日火曜日

話は変わるんだけど、昼時や夕飯時になると腹が減ったと騒ぎ出す連中が鬱陶しい。毎日同じ時刻に空腹感を感じるのかよ。パブロフの犬か。給餌される豚のように定刻に食事をしてるからそう思うんだろうが。昔から不規則な生活をしていたから食事の回数が多少減ったり増えたりしたって何ともないぜ。ところで痛みを錯覚できるかというのは大森荘蔵の本に議論があったが、空腹は錯覚できるのだろうか。できなさそうだな。
不幸な自己認識よくあるパターン。1.私は既に過剰であり、ここから何かを得るためには何かを捨てなければならない。 2.あるべき姿から私に足りないものを引いたのが今の私である。
何かを代償としないと健康を得られないと思っているのかもしれない。不便や不満の忍耐、他者との差異、異教徒からの懐疑に曝されることにより、殉教できると錯覚しているのかも。ただ生きているだけで神の愛を信じられる人間がどの程度いるか。
教義は過激な方が受け入れ易いということか。適当に食べていたって何とかなります、では信仰を支えられない。あれは駄目、これは駄目、ああしなさい、こうしなさいと指示されないと不安になる人は多いのだろう。
糖質制限界隈のキチガイっぷりは何事だ。糖尿病治療の一環として導入するなら話はわかるが。Wikipedia を見るに、人類の歴史的には稲作文化は始まったばかりで適応が追いついていないよね、追いついてないのは危険だよね、と言いたいらしい。懐古厨乙というかなんというか。実数を実数(boolean?)に写す関数しか想定できないんだろうか。